施食会(南面法要)

施食会は餓鬼道の亡霊に施しをして供養する南面法要です。五如来焼香など、施食会にまつわる作法と用語を解説します。

せじきえ

施食会

餓鬼道で飢え苦しむ霊や無縁仏に供物を施し供養する仏教行事。ご先祖供養とともに、自身の「欲深い心」を反省し、他者へ施す慈悲の心を養う法要でもある。与えるという行為は「私のもの」という執着を手放すことで、無執着の心を育てる修行でもある。

ごにょらいしょうこう

五如来焼香

曹洞宗の施食会において、五体の如来の宝号(名前)を唱えながら行う焼香。五つの如来の功徳により、餓鬼道で苦しむ亡者や無縁仏に甘露法味を施して成仏させ、参列者の回向と功徳を積む重要な儀式。祭壇に五如来幡(短冊状の幡)が飾られ、導師・参列者が焼香する。

五如来とそれぞれの役割

  1. 宝勝如来(ほうしょうにょらい) 宝で苦しみを滅する。
  2. 妙色身如来(みょうしきしんにょらい) 端正な姿で餓鬼の姿を救う。阿閦如来とされる。
  3. 西 甘露王如来(かんろおうにょらい) 清らかな甘露の水を施す。阿弥陀如来。
  4. 広博身如来(こうはくしんにょらい) 飢えた餓鬼に食事を与える。大日如来。
  5. 離怖畏如来(りふいにょらい) 恐れを取り除き、安心を与える。釈迦如来。

五如来の加持によって罪を滅し福を生じさせ、飢えに苦しむ霊に施しをすることで自身の無病息災・延命福寿にもつながるとされる。

十八拝差定(北面法要)

両祖忌・開山忌などで行われる北面の法要です。十八拝差定の構成と、関連する作法・用語を解説します。

じゅうはっぱいさじょう

十八拝差定

両祖忌・開山忌(中興の世代忌)などに行われる法要で、導師が大展し(座具を折らずに広げること。深い敬意を示す)、十八回の礼拝を行うことからこう呼ぶ。前半の九拝は先仏先祖も含めた普同供養、後半の九拝は当日の尊位への礼拝と特為献供にあたり、二つの九拝法要をひとつにまとめた形となっている。前九拝の終わりに一旦坐具を収めることで前後が区切られる。出班焼香を行う法要に付き物であり、三仏忌などでは九拝差定が行われる。

差定の構成(三拝×六回=十八拝)

  1. 前九拝 先仏先祖も含めた普同供養
  2. 焼香三拝 大展三拝にて行う入堂三拝。坐具を収めず進前。
  3. 湯食三拝
  4. 嚫金菓三拝 終わって坐具を収める(ここで前後を区切る)。
  5. 後九拝 当日の尊位への礼拝と特為献供 茶鼓一通
  6. 上香三拝 坐具を収めず進前。
  7. 茶三拝
  8. 中揖三拝 終わって坐具を収め、鼓三下・拈香法語。

九拝差定は略式ではなく、三仏忌に対応した別の差定として位置づけられる。

けんぐ

献供

法要において、仏・祖師・先亡に対して茶・湯・食・菓・香などの供物を捧げる儀式の総称。導師が礼拝(三拝)とともに供物を捧げ、供養の誠意を表す。十八拝差定では献供が前半と後半に一度ずつ、計二回行われる。

十八拝差定で献供を二回にわける理由:前半の九拝(入堂三拝・湯食三拝・嚫金菓三拝)は先仏先祖も含めた普同供養、後半の九拝(上香三拝・茶三拝・中揖三拝)は当日の尊位(両祖・開山など)への特為献供にあたる。前九拝の終わりに坐具を収めることで二つの供養が明確に区切られ、いわば二つの九拝法要をひとつにまとめた形が十八拝差定である。

でんぐ

伝供

法要中に僧侶が列をなし、仏前や祖師(開山)に供物を手から手へ順次受け渡して捧げる儀式。開山忌や重要な法要で、感謝と敬意を表すために行われる。

主な供物:蜜湯(はちみつ湯)・御膳(精進料理)・お菓子(お茶菓子)など。僧侶たちが協力して恭しく供物を捧げることで、供養の誠意を表す。

しゅつばんしょうこう

出班焼香

出班上香ともいう。禅宗の寺院で、仏祖などを供養する法要を修行する際に、出班の儀にしたがい、もっとも丁寧に敬意を表するため、仏祖の真前に進んで焼香し、帰位すること。

どくいけんぐ

特為献供

特定の祖師や開山忌、あるいは特別な仏・菩薩に対して、茶や供物を捧げる供養の儀式。通常より丁寧に行われ、開山忌や追善供養の法要で主に「特為献湯(けんとう)」や「特為茶」とともに厳粛に勤められる。

しょ

法要の趣旨や願いを仏祖に伝えるため、漢文で書かれた文書。導師が法要中に読み上げる。

お釈迦様の教え

四諦・八正道・四法印・四顛倒・常楽我浄など、釈尊が説いた根本的な教えの用語を解説します。

さんぼういん

三宝印

諸行無常・諸法無我・涅槃寂静という、仏教における三つの根本的な理念のこと。

さんがく

三学

戒定慧(かいじょうえ)のこと。戒律をたもつことで悪行による心の乱れを抑え、坐禅により心の揺れをなくし、安定することで如実知見(ありのままに見ること)に近づき、智慧が現れる状態に近づく、という修行のプロセスのこと。

したい

四諦

釈尊が悟りを開いたのち最初に説いた、四つの聖なる真理。苦諦・集諦・滅諦・道諦からなり、「苦しみとは何か、なぜ生じるか、滅することができるか、その道はどこにあるか」を体系的に示す。この四つをありのままに洞察することが仏道の出発点となる。

四諦の内容

  1. 苦諦(くたい) 生きることには苦しみがある。釈尊は苦を具体的に「四苦八苦」として定義した(詳細は下記)。
  2. 集諦(じったい) 苦の原因は渇愛・執着・無明にある。欲しがり求める心が苦を生み出す。
  3. 滅諦(めったい) 渇愛を滅することで苦は超えられる。これが涅槃(ニルヴァーナ)の境地。
  4. 道諦(どうたい) 苦を滅するための実践が八正道である。

釈尊による苦の定義(四苦八苦):生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)の四苦に、愛別離苦(あいべつりく・愛する者と別れる苦)・怨憎会苦(おんぞうえく・嫌いな者と出会う苦)・求不得苦(ぐふとくく・求めても得られない苦)・五蘊盛苦(ごうんじょうく・心身の働きそのものが苦の因となること)を加えた八苦。これらはすべてパーリ語原典に基づいた釈尊自身の言葉による分類である。

はっしょうどう

八正道

四諦の「道諦」として説かれた、苦しみから解放されるための八つの実践。「正」とは偏りなくありのままに見ることを指す。戒(倫理)・定(禅定)・慧(智慧)の三学を八つの側面から具体化したもの。

八正道の内容

  1. 正見(しょうけん) 四諦・縁起など仏法を正しく見る。【慧】
  2. 正思惟(しょうしゆい) 貪りや怒りのない正しい思い・意図。【慧】
  3. 正語(しょうご) 嘘・悪口・両舌・綺語のない正しい言葉。【戒】
  4. 正業(しょうごう) 殺生・偸盗・邪淫を慎む正しい行い。【戒】
  5. 正命(しょうみょう) 他を傷つけない正しい生活・生業。【戒】
  6. 正精進(しょうしょうじん) 善を育て悪を断つ正しい努力。【定】
  7. 正念(しょうねん) 身・受・心・法を明晰に観る正しい気づき。【定】
  8. 正定(しょうじょう) 散乱のない正しい禅定(坐禅)。【定】
しほういん

四法印

仏教を他の教えと区別する四つの根本命題。三宝印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)に「一切皆苦(または一切行苦)」を加えたもの。この四つすべてに同意するものが仏教の教え、同意しないものは仏教ではないとされる。常楽我浄の四顛倒に対する正しい洞察がここに結集されている。

四法印の内容

  1. 諸行無常(しょぎょうむじょう) 一切の現象は変化し、固定したものはない。
  2. 一切皆苦(いっさいかいく)/一切行苦(いっさいぎょうく) 執着する心がある限り、あらゆる現象は苦となる。パーリ語原典では「sabbe saṅkhārā dukkhā(サッベ・サンカーラー・ドゥッカー)」=「一切の形成されたものは苦である」と説かれ、「一切行苦」がより原語に忠実な訳とされる。漢訳の「一切皆苦」は広義に理解されてきた。
  3. 諸法無我(しょほうむが) あらゆるものに固定した「自己」は存在しない。
  4. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) 執着を滅した涅槃の境地は静寂で安らかである。

「一切皆苦」と「一切行苦」の違い:パーリ語 sabbe saṅkhārā dukkhā の saṅkhārā は「形成されたもの・行(ぎょう)」を指す。「行」とは条件によって生じた現象のこと。「一切行苦」は「条件によって生じたものはすべて苦の性質を帯びる」という意味で、原語に近い。「一切皆苦」は「あらゆるものが苦」と読まれることもあるが、涅槃そのものは苦ではないため、「行(有為法)に限られる苦」と解するのが正確。

してんどう

四顛倒

凡夫(迷いの衆生)が持つ四つの根本的な誤った認識。本来「無常・苦・無我・不浄」であるものを逆さまに「常・楽・我・浄」とみなす倒錯のこと。この四顛倒こそが苦しみを生み出す無明の具体的な現れとされる。四法印の正しい洞察はこの四顛倒に直接対応する。

四顛倒の内容(凡夫の迷い)

  1. 常顛倒(じょうてんどう) 無常なものを「常住・永遠に変わらない」と思い込む。
  2. 楽顛倒(らくてんどう) 苦であるものを「快楽・幸せ」と思い込む。
  3. 我顛倒(がてんどう) 無我であるのに「固定した自己がある」と思い込む。
  4. 浄顛倒(じょうてんどう) 不浄なものを「清らか」と思い込む。

四顛倒は根本的な無明の現れ。四法印を正しく洞察することで、この倒錯した見解から離れることができる。

じょうらくがじょう

常楽我浄(延命十句観音経)

延命十句観音経の「仏法僧縁 常楽我浄」に説かれる四つの徳。凡夫の四顛倒(無常を常と、苦を楽と、無我を我と、不浄を浄とみなす迷い)が転じた、涅槃・仏性の真実の姿を指す。苦しみから解放された境地にこそ真の常・楽・我・浄が現れるという逆説的な深みを持つ。

常楽我浄の四徳

  1. 真常(しんじょう) 仏の法身は生滅を超えた真の常住。無常なものを常と錯覚する顛倒とは異なる。
  2. 真楽(しんらく) 渇愛の滅した涅槃の境地に現れる真の安楽。欲望による楽の顛倒を超えたもの。
  3. 真我(しんが) 如来の大我(だいが)。執着する小我ではなく、自在に衆生を救う仏としての真の主体性。
  4. 真浄(しんじょう) 煩悩に汚染されない仏の法身の清浄性。不浄を浄と錯覚する顛倒を超えたもの。

延命十句観音経は曹洞宗で広く日常に読誦される短経。「仏法僧縁 常楽我浄」の句は、仏・法・僧の三宝との縁によってこそ真の常楽我浄が開かれることを示す。

しねんじゅう

四念住

釈尊が説いた四つの「気づきの足場」。身・受・心・法の四領域にわたって注意(念・ねん)を向け、それぞれをありのままに観察し続ける実践。八正道の「正念(しょうねん)」を具体化したもので、念処経(パーリ語: Satipaṭṭhāna Sutta / サティパッターナ・スッタ)に詳しく説かれる。現代のマインドフルネス実践の原型とされ、坐禅における観察の基礎でもある。

四念住の内容

  1. 身念住(しんねんじゅう) 身体をありのままに観察する。呼吸・姿勢・動作・身体の不浄などを通じて、身体への執着を見抜く。
  2. 受念住(じゅねんじゅう) 感受(受)をありのままに観察する。快・不快・中立の三種の受を、生じては滅するものとして見る。
  3. 心念住(しんねんじゅう) 心の状態をありのままに観察する。貪り・怒り・散乱など、その瞬間の心の様子を見る。
  4. 法念住(ほうねんじゅう) 諸現象(法)をありのままに観察する。五蓋・五蘊・六処・四諦などを通じて、すべての現象の無常・無我を見る。

「念(ねん)」とは梵語 smṛti(スムリティ)/パーリ語 sati(サティ)の訳。「よく記憶している・忘れない」という意味で、対象に明晰な気づきを保ち続けること。八大人覚の「不忘念」も同じ根をもつ。

涅槃経(遺教経)

お釈迦様が涅槃に入られる直前に説かれた経典。前半では波羅提木叉(戒律)を師とすること、後半では八大人覚を修めることが教えられています。

ねはんぎょう・ゆいきょうぎょう

涅槃経(遺教経)

正式名称「仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)」、通称「遺教経(ゆいきょうぎょう)」。お釈迦様が涅槃に入られる直前、弟子たちに残された最後の教えをまとめた経典。前半では戒律(波羅提木叉)を守ることを師として仰ぐよう説き、後半では涅槃に近づく者が身につけるべき「八大人覚」を教えられる。曹洞宗では重要な日常読誦経典の一つ。

経典の構成

  1. 前半 波羅提木叉(はらだいもくしゃ) 戒律を師として守ること。釈尊亡き後のよりどころとして説く。
  2. 後半 八大人覚(はちだいにんがく) 涅槃に近づく者が身につけるべき八つの自覚。少欲から不戯論まで。
はらだいもくしゃ

波羅提木叉

梵語 Prātimokṣa(プラーティモークシャ)の音写。比丘・比丘尼が二週間ごとに誦することで、犯した戒を確認・懺悔し合う規則の体系。遺教経では釈尊が「以波羅提木叉為師(はらだいもくしゃをもってしとなせ)」と説き、釈尊亡き後は戒律そのものを師として修行を続けることを命じた。

字義的に「別解脱(べつげだつ)」とも訳される。一つひとつの戒を守ることが、それぞれに解脱への道となることを意味する。

はちだいにんがく

八大人覚

遺教経の後半に説かれる、涅槃に近づく者(大人)が身につけるべき八つの自覚。少欲・知足・遠離から始まり、精進・不忘念・禅定・智慧と深まり、不戯論で締めくくられる。道元禅師は『正法眼蔵』の最後の巻を「八大人覚」と定め、この八つをもって修行の要諦とした。

八大人覚の内容

  1. 少欲(しょうよく) 欲望を少なくすること。まだ得ていないものをむやみに求めない。
  2. 知足(ちそく) 得たものに満足すること。今あるものを大切にする心。
  3. 遠離(おんり) 喧騒や雑縁から離れ、静かな環境に身を置くこと。
  4. 精進(しょうじん) 怠けず絶えず努力を続けること。
  5. 不忘念(ふもうねん) 正しい気づき・念(ねん)を失わないこと。
  6. 禅定(ぜんじょう) 散乱した心を静め、深い集中・坐禅に住すること。
  7. 智慧(ちえ) ありのままに見る洞察の力。四諦・縁起を明らかにする。
  8. 不戯論(ふけろん) 無益な議論・雑談をしないこと。言葉を慎み、本質に向かう。

道元禅師は「八大人覚」を『正法眼蔵』最後の巻と定め、この八つを修行の指針の集大成とした。少欲・知足という出発点から不戯論という終着まで、一つの修行の流れをなしている。

戒律

仏教の修行の土台となる戒の体系。曹洞宗の授戒で授けられる十六浄戒や、日常に唱える懺悔文など、戒に関する用語を解説します。

さんげもん

懺悔文

日々の修行や法要の冒頭に唱える、過去の罪業を懺悔する偈文。原文は「我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)、皆由無始貪瞋癡(かいゆむしとんじんち)、従身語意之所生(じゅうしんごいしょしょう)、一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)」。「私がこれまでに犯したすべての悪い行いは、はるか昔からの貪り・怒り・愚かさによるものであり、身・口・意の三つの働きから生じた。そのすべてをいま懺悔します」という意味。

懺悔は「罪を告白して責めを免れる」ことではなく、自らの迷いの根を見つめ直す行為。坐禅の前や授戒の場などで唱えることで、修行の出発点に立ち返る。

じゅうろくじょうかい

十六浄戒

曹洞宗の授戒において授けられる十六の戒。三帰戒(三宝への帰依)・三聚浄戒(菩薩の大きな誓い)・十重禁戒(具体的な禁戒)の三層から成る。波羅提木叉が出家者の規則の体系であるのに対し、十六浄戒は在家・出家を問わず菩薩として生きる者すべてに関わる大乗の戒。

十六浄戒の構成

  1. 三帰戒(さんきかい) 三宝に帰依する誓い
  2. 帰依仏(きえぶつ) 仏に帰依します。
  3. 帰依法(きえほう) 法(ダルマ)に帰依します。
  4. 帰依僧(きえそう) 僧(サンガ)に帰依します。
  5. 三聚浄戒(さんじゅじょうかい) 菩薩の三つの大誓願
  6. 摂律儀戒(しょうりつぎかい) すべての戒律を守ること。悪を断つ誓い。
  7. 摂善法戒(しょうぜんぽうかい) すべての善を行うこと。善を修める誓い。
  8. 摂衆生戒(しょうしゅじょうかい) すべての衆生を救うこと。衆生を済度する誓い。
  9. 十重禁戒(じゅうじゅうきんかい) 十の重い禁戒
  10. 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物を殺さない。
  11. 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗まない。
  12. 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 邪な性的行為をしない。
  13. 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をつかない。
  14. 不売酒戒(ふばいしゅかい) 酒を売り、人の心を乱さない。
  15. 不説過戒(ふせっかかい) 他者の過ちを言いふらさない。
  16. 不自讃毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他を貶めない。
  17. 不慳法財戒(ふけんほうざいかい) 法や財を惜しんで与えることをしない。
  18. 不瞋恚戒(ふしんにかい) 怒りを抱かない。
  19. 不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏・法・僧を謗らない。

授戒とは、師から弟子へこの十六浄戒を授ける儀式。受戒した者は仏の子(菩薩)として生きることを誓う。曹洞宗では得度(出家)の際に、また在家向けの帰敬式でも授けられる。