正法眼蔵『菩提薩埵四摂法』第3回・布施「自分のものでなくても、少なくても」
道元禅師の『正法眼蔵』菩提薩埵四摂法の巻を、ひと区切りずつ読み進めています。前回は「広い世界を治める力があっても」をたずねました。今回はこちらです。
引用部分は原文の現代語訳、その他は解説です。
自分のものでないからといって、布施することが妨げられるわけではありません。また、「これっぽっちのものでは」と、その少なさを嫌う必要もありません。大切なのは、その大小ではなく、与えようとする行為そのものに布施の功徳が現れていることです。
ここで大事なのは、他人の物を勝手に与えてよいという意味ではない、ということです。そうではなく、そもそも世の中の物事を「これは完全に私のものだ」と握りしめすぎない、という方向だと考えると分かりやすいです。たとえば、お金も食べ物も土地も身体も、私たちは一時的に預かり、使っている面があります。だから布施とは、「これは私のものだから、私が相手にくれてやる」ではなく、「縁によって今ここにあるものを、必要なところへ回していく」という感覚に近いのです。
極端に言えば、布施は物がなくてもできます。席を譲る、道を教える、知っていることを伝える、時間を差し出す、安心する言葉をかける。これらも「自分の所有物」を渡しているわけではありませんが、十分に布施になり得ます。ここでもやはり、最初にたずねた「貪らない、へつらわない」という心得に戻ってきます。布施とは、自分の物を減らす行為ではなく、自分のものだと握りしめる心を離す行為なのです。
次回は「財を財の働きに任せる」をたずねます。
合掌